第1章 発達とは
1-1. 発達(development)とは
発達心理学: 生涯における心身の変化とそれが生じるメカニズムを研究する学問分野 人間の発達は受精から死まで
人間一般にある程度共通してみられる変化がある
19世紀末から20世紀前半にかけては研究の主眼は子どもの発達に置かれていた
誕生から成人に至るまでの標準的な発達過程を明らかにする
ゲゼルの発達検査(Gesell, 1925; Gesell & Amartruda, 1941) 当時の発達観が生物学をモデルにしてたこと、公教育の普及に伴い、対象となる子供に関する科学的知見が求められていたこと
1960年代後半から生涯発達心理学(life-span developmental psychology)が台頭 3つの要因
世の中が豊かになり、青年期の終わりが曖昧になった
現在では上昇的変化も下降的変化も発達の一側面を表すものとみなされている
幼い時期ほど獲得や増大による変化が多く、加齢に伴い損失や減少による変化が増える(Baltes, 1987)
しかし、幼い子供にも喪失や減少が見られないわけではない
脳細胞をつなぐシナプスの形成は1~2歳でピークを迎え、その後減少し、適応に必要なシナプスのみが残っていく(Kolb & Gibb, 2011) 高齢になっても新しい力は獲得される
1-2. 発達段階
受精後の約38週
誕生~1歳半頃
養育者の全面的な世話を必要とし、そのやり取りの中で基本的信頼を獲得する 1歳半~6歳頃
養育者による世話や遊びを通して、言語や思考、情緒、社会性、運動能力が発達する
この時期の終わりには、基本的生活習慣が確立し、大人の手助けがなくても身辺自立が可能になる
6歳頃~12歳頃
義務教育が始まり、学校での活動を通して社会化される一方、個性化も進む
客観的・論理的思考が可能になるが、個人差も大きく、学習面でのつまづきを経験する子供もいる
12歳頃~20歳頃(30歳頃までとする説もある)
学校や職場における様々な体験を通して自分にふさわしい職業や役割を模索し、社会に出る準備をする
実際に社会に出てからも模索を続ける
20代~30代半ば
社会人となり、就職や結婚、出産や育児、転職といったライフイベントを経験し自分なりのライフスタイルを確立する
30代半ば~60代初め
生活が比較的安定する一方、仕事や家庭での責任が増し、次世代を育成することが課題になる
体力や気力の衰え、職業上の限界、子供の巣立ちや親の介護なども経験し、それまでのライフスタイルを軌道修正することが必要になってくる
職業から引退し時間的な余裕ができる一方、老いや病気、親しい人との別れに直面する機会が増える
喪失ばかりでなく獲得的変化(知能や情緒面)も見られる
自分の人生を振り返り、意味付けをしながら死に向けて準備をする時期
必ずしもすべての人が同じ時期に同じ発達課題を経験するとは限らない
同じ出来事を経験してもそれがもつ意味は人によって異なる
発達とは発達段階ごとに新しい課題に出会い、それを乗り越えていく過程
遺伝と環境が時間軸の中で双方向的に影響し合う
一卵性双生児の一方に特定の課題を与えて訓練し、もう一方はその間放置して後で訓練をする
その結果、様々な課題において、後になって訓練を始めた双生児の方が先に訓練をした双生児よりも短期間で習熟し成績も上回ることが明らかにされた
この検証方法については異議も出されたが、極端な行動主義的立場(人間は環境次第でどのようにでもなるという見方)に対する一つの論拠を提示したという点で意義があった(Thelen & Adolph, 1992) 遺伝と環境を巡る議論は1990年代以降普及した行動遺伝学によって新たな段階に入った(安藤, 2014) 行動遺伝学も双生児を対象とするが、より洗練された統計的手法を用いる
環境を共有環境(双生児が共有する環境で二人を似させる要因)と非共有環境(双生児が共有していない環境で、二人を異ならせる要因)に分けてその影響力の違いを見る 認知能力やパーソナリティ特性といった心理的形質については遺伝と環境の双方が影響していることが示されており、従来の相互作用説に沿った知見が得られている
環境要因のほとんどが共有環境ではなく、非共有環境だとする行動遺伝学の原則の一つ
同じ家庭に育つ子供であっても、必ずしも同じ経験をしているとは限らないこと、共有されない経験の方が心理的発達に大きな影響力を持っていることを示す
非共有環境には多様な要因が含まれており、どの要因がどう作用しているかはまだ十分に分かっていない
遺伝と環境の比率は固定的なものではなく、年齢や環境によっても変化する
発達は遺伝と環境の相互作用により進むが、そこには個人の主体性も関与している
何を好んでするか、誰と友達になるか、どのような進路に進むかなどは遺伝や環境の影響を受けもするが、本人がある程度主体的に選び取るものである(Mischel, 2014)
こうした発達の主体的制御は成長とともに拡大し、また生涯にわたって続く(大野, 2016)
1-4. 人間の発達の特殊性-生理的早産
動物は学習もするが、捕食や生殖など行動の多くは本能によって規定されている
人間は本能だけに縛られず、生得的な能力を学習によって多様に開花させる可能性を持つ
比較行動学者のポルトマン(Portman, 1951)は生理的早産という概念によって進化的な観点からみた人間の発達の特殊性を明らかにした 鳥類は離巣性(出生後すぐに自力で移動しエサをついばむ)と留巣性(巣にとどまって親がエサを運んできてくれるのを待つ)に分けられる このような出生時の状態(自立 or 未熟)で哺乳類を分類すると小型の哺乳類(ネズミ、イタチ、ウサギ、リスなど)は留巣性に、大型の哺乳類(牛、馬、クジラ、類人猿など)は離巣性に相当する
離巣性の哺乳類は、留巣性の哺乳類と比べると、身体や脳の構造が複雑で認識期間が長く、1回の妊娠で生まれてくるこの数が少ないという特徴を持つ
人間は身体・脳の構造、妊娠期間、子の数という点では離巣性だが、出生時の状態のみ留巣性に当てはまる
他の離巣性の哺乳類のように種に特有の行動(言語仕様や二足歩行)が可能になるには生後1年を要する
この現象からポルトマンは人間は進化の過程で脳が肥大化し、二足歩行により産道が垂直化したため、妊娠期間が短くなり、早産が常態化したと考えた。
開かれた生得性こそが人間の発達の特殊性
子宮外で胎児期を過ごすということは、種々の行動の発達が多様な環境刺激との相互作用の中で進むということ
出生時に未熟であることは生存に関するリスクを高めるが、周囲の保護があれば外部刺激との相互作用の中で様々な方向に行動を発展させうることを意味している
生体に発達するのに長い年月(約20年)がかかるのも他の動物には見られない特徴であり、それだけ発達における環境の果たす役割が大きい
1-5. 初期経験とその影響
人間の発達には各段階で異なる課題があり、その課題を克服できるかどうかが、次の発達段階に影響を及ぼすとされる(Erikson, 1950)
後々にまで強い影響を及ぼす可能性があるのは一般に乳幼児期と考えられている
カモやニワトリのような離巣性の鳥類は生後十数時間後に見た動くものを追従する反応を示す
性的に成熟した後は刻印づけされた対象に対して求愛行動を示す
臨界期, 敏感期: 刻印づけは限られた時間に成立し不可逆的である ボウルビィがWHOの依頼を受けて行った戦災孤児(第二次世界大戦)の研究 乳幼児期に適切な母性的養育を受けずに育った子どもには、情緒面や対人関係の発達に深刻なダメージが見られた(Bowlby, 1953)
社会学者エルダーによる世界恐慌(1929年)の影響を検討した研究 乳幼児期に深刻な経済的剥奪を経験した子どもに後々にまで心身への悪影響が残ったことが示されている
親の失業や減収に伴う経済的困窮、家庭内の緊張は家庭に依存せざるを得ない乳幼児には不利に働いたが、児童期の子どもにはむしろ有利に働いた
家庭を助けるために家事や低賃金労働に従事せざるをえなかったが、そうした生産的役割を担うことが責任感や自信を高め、成人期に安定した生活を築くことにつながったと言われる(Elder, 1974)
近年では虐待を受けた子どもの発達に初期経験の影響を見て取ることができる
藤永ら(1987)によれば、親からネグレクト(養育放棄)を受けていた5歳と6歳の兄弟(FとG)は発見されたとき1歳から1歳半程度の発達しか見られなかった。 しかし、人間は成体に達するまでの期間が長く、環境の影響を受けて変化する可能性(可塑性)が高いという特徴を持つ
ネグレクトされていたFとGは引き取られた施設で保育者と愛着関係を築き、丁重な療育的関わりを受けることによって、発達の遅れを取り戻すことができた(藤永ら, 1987)
エルダーの研究でも乳幼児期に受けた心理的ダメージを引きずっていた青年のうち、一部はその後の軍隊生活でロールモデルとなる成人男性に出会い、前向きに生きるようになり、家庭や職業上の安定を達成したことが報告されている(Elder, 1986)
変化する可能性(可塑性)は発達早期ほど大きいのも事実